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離婚で疎遠になっていた父の遺品整理菊池様より寄稿いただきました
遺品整理時期:2016年7月3日 どなたの遺品を整理しましたか?:父(母と離婚後、疎遠) 遺品整理にかかった時間(日数):1日半 お住まい:新座市 離婚で疎遠になっていた父の遺品整理2016年6月下旬、仕事が終わった帰宅途中に、兄より久々に着信とLINEが来ていたことに気が付きました。
「親父が亡くなりました。」 それを聞いた時の感情は、まさに「無」。恐らく色々な感情が湧き上がっていたのですが、親父とは色々ありすぎて、気持ちの説明が付かなかったのを記憶しています。 5人兄弟の次男である私は、両親の離婚を経て、父とは5年ほど疎遠になっていました。 私自身「不仲」という時期もありましたが、とても恨んでいるとか、そういった具合でもなく、しかしながら、悲しくてたまらないというほどの関係でもありませんでした。 父の訃報を受け、職場のあった茨城から実家の岩手まで、2泊3日の帰省となりました。その時のことを書いてみます。 遺品整理にいたるまで 帰省二日目、火葬が終わり夕方前から父の家に行き、遺品整理の準備を始めました。 父の家といっても、私が中学生の頃両親が離婚して母方についてアパート暮らしになるまでは、家族7人で暮らしていた二階建ての一軒家ですので、よく知った場所でした。 私は大学時代に地元の大学に通っていましたが、一人暮らしにあこがれていたので、父が仕事で他県に行っていた間の1年間は私自身もその一軒家で一人暮らしをしていました。そのため、他の家族に比べ、家具の配置などには覚えがありました。 遺品整理のメンバーは、母と妹3人と私の計5人でした。地元で働いていた長男は仕事だといってまったく手伝うことはありませんでした。 なんとか私が滞在している残りの二日間で遺品整理を終わらせてしまおうと、全員意気込んで取り掛かりました。 なぜそんなに急いでいたのかというと、父が亡くなり、父の財産であった実家は、私たち兄弟に相続されましたが、誰も結婚をしていなかったので、こんな大きな家を欲しがる兄妹は誰もいません。 家自体を5等分にすることもできないので、家を祖父に売り、そのお金を5等分にすることに決めました。これは、祖父からの提案でした。 そのため、クリーニング代を安く抑え、売りに出した時、できるだけ高く買ってもらうためにも、ピカピカの状態にして祖父に渡そうと考えていたのです。 大きな家で、過去には7人で住んでいたわけですから、家具や家電など含め、相当な量でした。ですが、5人もいたわけですから、頑張れば1日半で終わらないこともないだろうと考えていました。 遺品整理開始後、困難に気づく早速作業を開始。役割分担は以下のとおりに決めました
・ゴミ移動チーム:母、長女 ・清掃・ゴミまとめチーム:次女、三女 ・家具の解体・運び出しチーム:私(次男) 車を運転できる母と長女は、家から片道20分ほどのゴミ処理センターまで、大きなゴミを持って行く係にしました。軽トラックを借りるお金も時間もなかったため、妹の軽自動車での運び出しです。 当時、まだ中学生だった次女と三女には、日常ゴミや雑誌・衣類などの軽いゴミを集めてもらい、終わった箇所の清掃をお願いしました。とくに怠け者だった次女と三女には最初から期待していなかったため、最も簡単な仕事をお願いしました。 最後に唯一の男手であり、家族の中ではもっとも計画力や行動力のある(と自負している)私は、家電や家具などの重い粗大ゴミの運び出しや、ドアを通れない机やベッドなどの解体を請け負いました。 作業を進める中で大きく分けて4つの過ち・見落としに気が付きました。 1つ目は、軽自動車に乗らない粗大ゴミがあること。 途中で、軽自動車に乗らない家具や家電があることに気が付きました。 当初私は「解体すればたいていの物は乗せられるだろう」と考えていましたが、ベッドや冷蔵庫など、どうやっても乗らないものがありました。そもそも男手は自分ひとりでしたので、外に担ぎ出すのも困難を極めました。 2つ目は、時間に制約があったこと 市が運営するゴミ処理所の開所が17時まででした。 火葬後の初日の遺品整理では一往復が限度で、2日目はとにかく多くの回数運べるように、先にもって行きやすいものをとにかく積んでもっていかせるようにしました。 そして2日目、なんと下の妹たちが学校だということで、16時くらいまでは家の中の片付けは私一人で行いました。 3つ目は、解体に予想以上に時間がかかったこと 「解体はドライバーでねじを外すだけ」そう考えていた私は、時間の見積もりで大きく誤差を生じました。 大きな家具ほど解体する際に十分なスペースがいります。 とにかく解体をしなければと焦っていた私は、スペースを考えることなく解体を進めていたので、部屋の中はぐちゃぐちゃになり、なかなかスムーズに作業を進めることができませんでした。 また、家具の中にはネジがサビついておりうまく解体できない家具や、そもそも接着剤で止めてある家具などもあり、予想以上の労働となりました。 4つ目は、誘惑と罠が潜んでいるということ 作業を進める中で、やはり昔のアルバムやよく読んでいた漫画などが出てきます。私もそうでしたが、次女・三女はとくに、見つけてはついついそちらに目を奪われてしまうということが多々ありました。 遺品整理を終えて5人で行った遺品整理は、結果的に1日半で終わらせることができませんでした。
終わらないと気づき始めた2日目のお昼頃からは、私がいるうちにやっておきたい家具の解体や、大きなゴミの運び出しに専念しました。 妹は私よりさらに2日間実家に残るため、その2日で終わらせることを願っていましたが、軽作業的な片づけをしただけで、大きな整理は特に何もしなかったようです。 ただ祖父は、そもそも遺品整理を自分たちがやってくれているとは思っていなかったようで、家を見にきたときに大変きれいになったと驚いていたそうです。 突然の父の死から急ピッチで進めた、2階建て元7人家族の一軒家の遺品整理でしたが、やはり遺品整理は計画的に、できれば専門的な業者を、最低限ゴミ収集の業者だけでも依頼しておく必要があると感じました。 そんなことを言っても、資金がどこにもなかった私たちにはどうしようもないことだったのですが。亡くなった父が生命保険に加入でもしてくれていれば、遺品整理に使えるお金があったかもしれません。しかし、今更それを言っても仕方がありません。 ちなみに、祖父に売却した家の相続金ですが、生前に父が祖父に借りていたお金や、最後の葬式費用などに充当され、結局のところ私たちには1円も入ってきませんでした。 借金を背負わされなかっただけでも良かったと思うしかありません……。 以上が、私が体験した、父の遺品整理体験談でした。 【実録】遺品整理の体験談【実録】遺品整理体験談のご案内
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